平成27(2015)年1月23日
貫名 涼(京都大学大学院地球環境学堂助教,同大学院農学研究科助教を両任/祇園祭囃子方)
祇園祭における厄除けちまき
京都の夏の風物詩,祇園祭。“動く美術館”と称される山鉾や祇園囃子(ぎおんばやし),神輿(みこし)をはじめ,町衆による壮麗な祭は,洋の東西を問わず多くの人々を魅了し続けている。その祇園祭に欠かせないものの一つが「厄除けちまき」だ。京都のまちを歩けば,多くの家の軒先に,ちまきが何気なく飾られているのが目に付くだろう。山鉾巡行のような熱狂に満ちた行事だけでなく,こうして静かに無病息災を願う信仰,そしてちまきを渡す,受けるという人々の繋がりにこそ,祭として,ひとつの本質的価値があり,ちまきはその象徴的存在であると言える。
厄除けちまきの材料
厄除けちまきを手に取って見てみると,稲のわらを,ササの葉と藺草(いぐさ)を使って包んだものだと分かる。このササは,いわゆるクマザサの一種で,通称チマキザサと呼ばれる大型のササだ。種としてはチュウゴクザサ (Sasa veitchii var. hirsuta) である。
特に京都市北部, 鞍馬山から花背別所町や大原百井町周辺の山間部に自生するチュウゴクザサは, 香りが良く, また葉の裏に毛がないために加工がしやすいという理由から好んで用いられており,古くから根強い需要がある。17世紀末に書かれた『雍州府志(ようしゅうふし)』にも,“他産不堪用(=他産地のものは品質面から使用できない)”との記述があるほどだ。祇園祭だけでなく,お菓子のちまきや麩まんじゅう,京料理の敷き笹などにも多く利用され,京都の暮らしと文化にかかせないものだと言える。
チマキザサの危機
しかし, 2004年から2007年にかけて, 京都市北部においてササの一斉開花現象が起き, 上記のチュウゴクザサ群落のほぼ全てが枯死してしまった。数十年に一度, 広範囲のササが同時に花を咲かせ, 枯れるというこの現象は, タケ・ササ類の生態として知られており, あくまで自然現象である。通常は, 開花後に結実する種子から次世代が再生していき, 10年もすれば元のササ原に再生すると考えられるが, 今回の一斉開花では一向に回復が見られない。これを受けて,古くから続いてきた京都産チマキザサの供給が,突如完全に停止してしまった。市内での需要を賄うため,現在は国内の他産地から代替品を仕入れ,既存の流通ルートに乗せることで対応している。
再生が進まない要因のうち, もっとも顕著なものはニホンジカによる食害だ。近年,狩猟者の減少や,天敵であるオオカミの人為的根絶など複合的な要因から,全国的にシカの個体数が増加し,森林植生への被害が問題視されている。京都市北部の山間地も例外ではなく,シカの食害による下層植生の衰退や高木への樹皮剥ぎなど, 多くの被害が見られる。チマキザサについても, 種子や地下茎から伸びてきた新芽が, ことごとく食べられてしまうことで, 群落の再生が阻害されているという状態である。また,上記の花脊別所町周辺でも,かつては「炭焼き」を始めとして森林利用が活発に行われており,人の手が入った適度に明るい広葉樹林が広がっていたと考えられる。この明るい薪炭林の林床こそが,チマキザサの生息適地であったが,近年では薪炭林施業は激減し,林内の環境は変化している。また針葉樹林への転換もあって,ササにとっての適地も徐々に減少してしまっているというのが現状である。もはやこうなると,京都のチマキザサの危機は,我々の生活の変化による人為的な影響も大きく,単なる自然現象として片付けられる状況ではないだろう。
チマキザサの危機が意味するもの
資源としての利用が不可能な状態が続いている京都のチマキザサであるが,この問題は以下のような視点から捉えることができる。
(1) まちの視点
最もシンプルな問題として, 祇園祭の厄除けちまきや, 和菓子などを本来の品質で作れなくなっている。これは京都の歴史ある祭礼文化や洗練された食文化の危機を意味する。
(2) やまの視点
ササ葉の採集は約2箇月にわたって行われ, その収入は40~150万円程度であったとされる 1)。当該の山村地域にとっては, 貴重な生業のひとつが失われることになる。
(3) 第三者の視点
京都のササの質の高さは, 自生するササそのものの特長だけでなく, 産地に伝わる乾燥・選別技術によるところが大きい。ササ葉の採集や加工を行ってきた産地は高齢化と過疎化が進んでおり, 現在のように採集が行えない状態が続けば, 在来の技術が失われていく可能性が高い。また当然のことながら, この京都産ササの出荷停止問題は, 里山としての管理の衰退や獣害問題など, 森林をとりまく環境の異変も示していると言える。
京都産チマキザサの保全へ向けて
このような状況を受けて, 保全活動が始まった。2009年には市民有志らによる対策チームが結成され, 「チマキザサの里親」事業などを行った。シカの食害から守るため, 一般市民にチマキザサの苗を配布し, 1年ほど町なかの各家庭で育てた後, 防鹿柵を設置したもとの山林へと植え戻すという活動だ。その後, 2013年度に入り, 「チマキザサ再生委員会」として体制を強化し, 現在に至っている。ササ葉の産地の自治会, 消費地である山鉾町の自治会, 市民有志, 京都大学, 京都市左京区役所や関係部局が協力しながら, 保全に向けた取組を行っている。
たかがササの葉,他産地のササあるいはプラスチック等の代替品でも構わないとする考え方もある。しかし冒頭にも述べた通り,これは祇園祭の本質に関わるものであり,京都の“ほんまもん”の文化として守る必要があるのではないだろうか。そして「文化」という実に緩やかな規範のなかで,伝統的に続いてきた地域資源の利用システムにこそ,これからの持続可能な社会のヒントがあるものと考えている。
防鹿柵設置後の植生変化(左:2014年4月の柵設置直後 右:2014年9月)。
他の草本や実生などに加え,林床のササが目視で確認できるほどに育っている。
参考文献
1) 阿部佑平・柴田昌三・奥敬一・深町加津枝 (2011). 京都市におけるササの葉の生産および流通. 日本森林学会誌. 93(6)pp. 270-276
2) 東口涼 (2014). 祇園祭とチマキザサ-京都産チマキザサの復活を目指して-. 竹の教科書2013. 宮津竹の学校実行委員会編. pp.14-15
筆者
貫名 涼 (ぬきな りょう)
1988年京都市生まれ。京都大学博士(農学)。現在は京都大学大学院地球環境学堂助教,同大学院農学研究科助教を両任。チマキザサ再生研究会の事務局長として,景観生態学の視点から洛中洛外を橋渡しするための活動を行っている。