平成26(2014)年10月31日
湯本 貴和(京都大学霊長類研究所教授,京都市環境審議会生物多様性保全検討部会長)
はじめに
地球環境問題の中で,気候変動問題と生物多様性喪失問題は二大テーマである。しかし,気候変動に比べて生物多様性について,市民の関心はいまいち低調である。それは一体なぜだろうか。
一つは,生物多様性喪失問題がイリオモテヤマネコやトキのような希少生物の保護だと思われているからだ。実際,トキやコウノトリのように絶滅してしまった動物を多額の税金を投入して復活させるのに何の意味があるのか,あるいはクマタカやイヌワシがいるだけでダム建設などの「有益な」計画をなぜストップしなければならないのか,といった疑問を持つ人たちは多い。長らく「自然保護」は,開発や経済成長の敵として扱われてきた。
もう一つは,人間生活,特に農業と医療は,生物多様性を低下させることで営まれているからだ。農業は「雑草」と「害虫」,そして「害獣」との闘いであり,外来生物である「作物」という選ばれた生物種のみを残して,生物多様性を抑えることに日々努力を費やしている。医療の世界では,「病原体」となる生物を根絶させ,病原体を媒介する生物を撲滅することを最大の課題としてきた。今日の私たちの繁栄は,農業と医療の分野での劇的な成功に負っている。私は生物多様性の講演会をするたびに「人間に有害な生物まで守らなければならないのですか」と質問される。この「真の生物多様性問題」,つまり「なぜ生物多様性が必要か」という問いは大変答えにくい。ゴリラやパンダのような大型哺乳類の絶滅は,ある程度,人々の関心を引くことができる。しかし「熱帯の誰も知らない昆虫の百や二百が絶滅しても,人間生活の何が変わるというのか」という人を納得させるのは至難である。
ガボンのニシゴリラ。野生のイチジクを食べている。
インドのアジアゾウ。チーク林のなかを歩く母子。
生物多様性とはなにか
1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された地球サミットにおいて,生物多様性は「すべての生物(陸上生態系,海洋その他の水界生態系,これらが複合した生態系,その他生息または生育の場を問わず)の間の変異性を指し,種内の多様性,種間の多様性および生態系の多様性を含む」と定義された。
遺伝的多様性とは,ある生物種のなかでの遺伝子の多様性であり,遺伝子の交流のある集団内の遺伝的変異と,遺伝子の交流が限られている集団間の遺伝的変異の両方を含んでいる。種多様性とは,ある生態系を構成している生物種の多様性であり,単なる種数だけではなく,特定の種が優占する生態系は多様性が低く,多くの種が均等に共存する生態系は多様性が高いとされる。生態系多様性とは,環境に応じて様々まな生態系が成立していることだ。
では,この生物多様性は,人間にとってなぜ意味があるのであろうか。私たち人間は,生物と生態系が産み出す「自然の恵み」なしでは生きていけない。この自然の恵みを改めて指摘したのが「生態系サービス」という考え方である。人間社会が生態系から受ける恩恵である生態系サービスは,①供給(食料,水,燃料,繊維など,生態系が生産するモノ),②調整(気候の調節,洪水の緩和,水質の浄化など,生態系の働きにより得られる利益),③文化(リクレーション,景観,教育など,生態系から受ける非物質的な利益),④基盤(土壌の形成,栄養の循環など,他の生態系サービスがうまく得られるためのサービス)に整理されている。
エドワード・ウィルソンは,世界中全ての昆虫がこの世から消えれば,人類社会は2〜3箇月で破滅するだろうと述べている。鳥や獣の大部分は昆虫がいなくなると同時に死滅し,次に植物が滅んで,少なくとも陸上生態系は壊滅する。しかし,十分な生態系サービスを実現するためにどれくらいの生物多様性があればいいのかという研究は,まだ始まったばかりだ。生態系サービスのうち,食料,水,燃料,繊維,気候の調節,洪水の緩和などは,むしろ特定の能力が優れた少数の生物種によって生態系が構成されていた方が,短期で見れば効率的であることが多い。
ボルネオ島の熱帯雨林で採集された昆虫。新種も多数。
生物多様性はなぜ重要か
生物多様性の重要性は,遺伝的多様性,種多様性,生態系多様性の全てにおいて,撹乱(かくらん)あるいは環境変動に関係している。撹乱というと何か日常ではなく,異常なことのように考えられがちである。しかし,生物を取り巻く環境は常に変動し続けており,火山活動や台風,土石流などによる撹乱が存在する。撹乱はどんな形で襲ってくるかは分からないが,個体群,生態系を問わず,多様性が高ければその中に生き延びる性質を持つ個体や生物種が含まれている可能性が高い。
これまで生物多様性の重要さは,「飛行機の比喩」(リベット仮説)に例えられてきた。飛行機をつくりあげているのは,大きな部品やリベットのような小部品など様々だが,リベット一つが欠けても,飛び続けるうちに飛行機は墜ちてしまう。どんなに目立たない種でも絶滅すればそのうち生態系が崩壊してしまうというのが,この例え話である。しかし,歴史上これまでも多くの生物種は絶滅してきた。そのたびごとに生態系が滅亡してきたなら,私たちは存続できなかったはずだ。
私は「掘建て小屋の比喩」をすることにしている。掘建て小屋は,大きな柱,小さな柱などでできている。柱を一本二本取り去っても小屋がすぐに倒れることはないが,台風や地震には弱くなっているだろう。調子に乗って,次から次へと柱を取り去っていけば,やがて小屋は傾き,そのうち倒壊してしまう。生物種の絶滅は確実に生態系の安定性を損なっているが,その影響はすぐさま現れるわけではない。しかし,大きな撹乱,例えば気候変動が起きれば壊滅的な被害をこうむる危険性は高まるし,次々に生物種が絶滅していくと,そのうち生態系は崩壊するかもしれない。
京都市生物多様性プラン策定にあたって
病気にならないと,健康の本当の価値は分からないと言われる。生物多様性が極限まで失われて生態系が崩壊しないと,本当の意味で生物多様性の価値は理解できないのかもしれない。しかし,それでは遅すぎる。国際的にも国内でも様々な取組がなされていて,2010年に名古屋で生物多様性条約締結国会議COP10が開催され,愛知目標が立てられた。日本国でも生物多様性国家戦略が策定され,自治体もそれぞれの地域戦略を策定することが望ましいとされた。
生物多様性の本質の一つは,地域性である。それぞれの地域には,他からある程度区別され,その風土に育まれた生物の多様性がある。メダカが絶滅しそうだといって,ペットショップで買ってきた原産地が違うメダカをやたらに放流してはいけないわけだ。また,それぞれの地域には,地域の生物多様性に根ざした文化が存在する。京都の場合は,日本を代表する文化都市にふさわしい生物多様性地域戦略があるはずである。その「京都らしさ」を形にしたいと「京都市生物多様性プラン」策定に取り組んだ。まだまだ改良の余地もあるし,小学生向け,事業者向けなど対象別のバージョンも作る必要があるだろう。しかし,京都市はこの「京都市生物多様性プラン」を持つことで,様々な施策に生物多様性への配慮を反映させるための第一歩を踏み出したのだ。
大文字の送り火。アカマツの薪を使う。
筆者
湯本貴和(ゆもと たかかず)
1959年生まれ。神戸大学,京都大学生態学研究センター,総合地球環境学研究所などを経て2013年から京都大学霊長類研究所教授。京都市環境審議会の委員で生物多様性保全検討部会長を務める。専門は熱帯林での植物と動物との共生関係。